2018年1月9日火曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(3)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しいマネージメント会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットに行っている営利事業である。

2013年1月、ウィーンのインターナショナルスクールでは学期休みを前に数週間校長不在の状況が続いていた。学校運営企業はベルリンから数人のスタッフを毎週ウィーンに送り込んで交代で穴を塞いでいたが、そのために膨大な経費が発生しているという話をシンシアから聞いた。

すでに日本で面談した二人がこの学校に入学を希望していたが、私はクリスティン・Kに「Nが解任されたのに校長も決まらない状況で、私はまだ学校と契約もされず、経費も支払われないのであればもう協力はできない」と言うメールを送った。すると、この学校で働いていたシンシアとKから「すぐに投資家のビル・Dと電話で話して欲しい」という連絡が来た。スカイプでDと話し合い、それまでの経過と様々な問題点について報告した。ヨルゲン・Kからホルヘ・Nにはどうやらまともな引き継ぎはされておらず、学校の当初のコンセプトについても具体的な説明がされていないような印象を受けたことも話した。またシンシア以外音楽の専門知識を持ったスタッフがおらずこれでは「ミュージックアカデミー」の運営は不可能であるとの意見も述べた。すると1月31日、クリスティン・Kから「すぐに契約をしたいのでウィーンに戻ってきて欲しい」という連絡が来た。私は即座にウィーン行きの便を予約して、2月1日にウィーンに戻った。

ベルリンの学校運営企業は2月はじめにギュンター・Bを暫定的に校長代理としてウィーンの学校に派遣してきた。ギュンター・Bはシンガポールに駐在経験があって初代校長のヨルゲン・Kや「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hとともにこのインターナショナルスクールの準備段階から計画と運営に関わってきたが、本来教育者の経験はなくてマネージャーであることから学校運営企業は補佐としてもう一人のマネージャー、クルト・Bを副校長として、またミヒャエル・Wをもう一人の補佐として交代でウィーンに出張させ、三人が交代で業務に当たるようになった。

ウィーンに戻ったその足でインターナショナルスクールを訪ねた私はこうして、本来の学校側の代理人でパーソナルマネージャーであるクリスティン・Kとではなくクルト・Bと契約を結ぶことになった。そして、契約の内容もアンサンブルやオーケストラの指導ではなく、日本語地域でのマーケティング担当者で「ミュージックアンバサダー」という名称のポジションが用意され、報酬は全額固定ではなく毎月1500ユーロとリクルートした生徒一人あたり初年度学費の10%(寮費は含まれない)、必要経費は当面学校運営企業が必要と認める経費を支払うというものになった。2月中旬には小学生と両親が学校を見学にやってくることとなり、私はすぐに三人のための旅行や見学の手配を行うこととなった。そして、日本でのマーケティング活動の第一歩は、3月に長野で行われる大規模なクラシック音楽のイベントに参加することとなったが、このイベントでのプロモーションはすでに9月に提案してあったものであった。しかし、2月になって急遽イベントに参加することが正式に決まったためホテルの予約すら困難で、結局会場からタクシーで1時間もかかる、小さな温泉地にようやく私とクリスティン・Wのための二人の部屋が確保できた。温泉地なので本来四人用の和室を二部屋手配するという非常に高く付くものとなった。

2月中旬、日本からこのインターナショナルスクールを事前見学に来た親子を案内中に、校長代理のギュンター・Bと「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hの対立が目立つようになってきた。二人は生徒たちや来客の前で口汚く罵り合うことが多くなり、私もそうした二人の怒鳴り合いを何度か目にした。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

人名が多くなったので、以下に一度整理する。

投資家:
ビル・D(世界的な衛生用品メーカーの会長)
リチャード・C(グローバルな投資家)
ウィルソン・G(シンガポールのデンタルクリニックチェーンの創始者)
アレキサンダー・O(ベルリンにある学校運営企業の代表、2014年に一時的に校長となる)。

校長たち:
ヨルゲン・K(初代校長、2012年7月インターナショナルスクールのオープン前に解任される。ドイツのジャーナリストでアジア駐在を経験)
ホルヘ・N(二人目の校長、2012年夏に学校運営企業によって任命され、2013年1月に解任される)
ギュンター・B(三人目の校長でビジネスマン。シンガポールでマネージャーの経験があり、当初より学校設立に関わるが初代、二代校長を始め「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hなどと次々に対立。2014年3月に解任される)。
クルト・B(2013年2月から2014年3月までの副校長。2013年秋以降次第にウィーンには現れなくなる)
アレキサンダー・O(ベルリンにある学校運営企業の代表、2014年に一時的に校長となる)。
クリス・G(2014年1月にボーディングマネージャーとして雇われるが同年夏に校長となる。現在も校長)。

スタッフ:
ミヒャエル・W(マネージャー。私の契約更新時の学校運営企業の代理人。2014年4月に解任される)
ドリス・H(会計責任者)
ハイドロン・K(学生事務担当者)
シンシア・P(音楽アカデミー代表者。私の音大時代からの友人。2012年12月に音楽アカデミーのスタッフとなり、その後音楽アカデミーの代表を務める。2014年8月に退職)。

音楽アカデミー:
フォルカー・H(初代の「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」2012年暮れに現れ、2013年3月ギュンター・Bと対立して辞任する)。
ヨハンネス・M(2013年夏にフォルカー・Hの後任としてウィーン少年合唱団附属小学校からヘッドハンティングされるが2014年6月に退職)
ミッチ・S(2016年頃から「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」となり、2018年1月に更迭される)。
アレキサンダー・G(ロシア出身の有名ヴァイオリニストだが2013年秋に投資家のウィルソン・Gと対立し辞任)
ニコラウス・K(ドイツ人ヴァイオリニスト。2012年から音楽アカデミーで教えるが、2015年に退職)。






0 件のコメント:

コメントを投稿