2018年1月17日水曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(4)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しいマネージメント会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットに行っている営利事業である。

2013年2月、私は本来大変多忙であった。

中旬にはその年の夏にエストニアで行われる音楽祭の打ち合わせのためにタリンを訪問する予定になっていた。月末から3月始めにかけてはフランスとドイツでの仕事が決まっていた。その間を縫うように、日本からインターナショナルスクールの訪問する家族を案内することになったので、日本からヘルシンキとタリンを経由して向かうはずだったウィーンに本来よりも2週間早く行かなければならなくなって、日本での様々な予定を変更しなくてはならなくなった。しかし、インターナショナルスクールとの契約ができたので前年の秋から事実上無償コンサルタント状態だった分も含めて報酬も支払われ、私としても多少経費がかかっても時間を割いて学校視察の案内をすることにしたのだった。2月初め学生事務担当者のハイドロン・Kにメールで学校訪問について連絡した。クルト・B とは当初ボーディング施設に家族で宿泊してもかまわないという話だったのだが、その間にシンガポールからの見学者が入ってしまって両親は一緒に泊まれないというので、市内に別にアパートを用意した。私にとって厄介だったのはほとんどすべての関係者がドイツ語ができるので、連絡事項については本来はドイツ語のほうが私にとっては簡単なのだけど、数人いるドイツ語の分からないスタッフのためにメールでの連絡や会議での話はすべて英語でなくてはならなかった点で、急ぎのメールでも辞書を引き引き英語で書いて送らなくてはならなかった。ドイツ語なら辞書など見なくても良いからすぐに書いて送れる。例えば学校見学に関してハイドロン・Kに送るメールは、クリスティン・W以外は全員ドイツ語がわかるのに英語で書く必要があった。

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日本から学校訪問した小学生は、その場でピアノの実技試験も受けることになったので、練習室の確保などを依頼したのだが、メールを英語で書いて全員にCCにしているのにもかかわらず、非常に返事も遅く、段取りも悪く、実際日本からの家族がウィーンについてみると、打ち合わせ通りに準備ができていないことばかりだった。実はネイティブスピーカー以外の何人かは、私を含めて英語で事務連絡をするために文案を考えたり、スペルや文法ミスをしないでそれを書いて送るためにドイツ語よりもずっと手間を掛けて行っていて、そのことが学校内でのコミュニケーションを非常に混乱させているのだった。この学校はドイツ語圏のウィーンにあるのに、全くドイツ語を理解しないスタッフが数人いるのだ!
日本からの小学生は音楽アカデミーのフォルカー・Hとエリザベート・Wの前でオーディションを受けて、その場で入学を許可すると言い渡された。フォルカー・Hは音楽の能力のほうが大事で、学校の成績や英語の能力は二の次だとはっきりと言った。私は少々困惑した。何故かと言うともう一人の入学希望者であるイギリス留学中の日本の中学生は英語は大変良くできるし成績も抜群だが、チェロの演奏はアマチュアレベルだったからである。

ギュンター・Bもクルト・Bも「試験」の場には姿を表さなかった。クリスティン・Kはウィーンには現れなかった。しかし、間もなくフォルカー・Hとギュンター・Bの対立が決定的となり、フォルカー・Hも半年足らずでこの学校を去ることとなった。私がフランスとドイツから戻るとフォルカー・Hは「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」を解任されていた。

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