2012年1月19日木曜日

武蔵野音楽大学の新入生歓迎コンパ


私は酒が嫌いな方ではない。特に若い頃は馬鹿みたいに沢山飲んだし、飲めた。ビアホールに行くと大ジョッキを5,6杯飲んでやっと飲んだような気になった。沢山飲めるのが偉いような気がしていたので、特に大勢だと気が大きくなってますます飲んだものである。

だから、飲み会は嫌いじゃないが、まずは管楽器の新入生全員を対象とした新歓コンパでの上級生達の行為、それを黙ってみている教員達に激しい嫌悪感を感じることになった。
私は猥談も嫌いじゃないが、女性や子供の前で猥談をする奴は軽蔑する。酒を飲んで騒ぐのも良いが、歓迎される側が激しい嫌悪感を感じながら同席を強要されるような飲み会は最悪だ。 私が「特性カクテル」の一気飲みを拒んだのを見ていた上級生の何人かが向かってきた。ベルトを引き抜いてムチにして、口から泡を吹きながらかかってきた3年生は私に突き飛ばされて転倒した。会場は色めきだったので、まずいと思ったのか何人かの4年生が私を会場の外に誘導した。帰宅を促されたのだが私は「事態を最後まで見届ける」と言ってその場にとどまる。

更に一悶着起きたのは帰りの電車の中である。上級生達は車内でも乱痴気騒ぎを続けたのだ。他の乗客の乗り合わせた車内で手拍子、猥褻な歌詞の放歌が続く。先ほどの騒ぎが収まったばかりだったのでしばらくは抑えていたのだが、あまりの非常識に私は再びキレる。
周囲の乗客の視線をよそに、注意した私を取り囲んで怒鳴る、小突き回す上級生達、今度は同級生が止めに入って私は途中駅で降ろされる。捨てぜりふで見送る上級生達。
翌日、担任の教官に電話する。上級生達の行為を非難するためだが、逆に「上級生を注意するとは何事か!」と怒られる。 

まもなく、今度はトロンボーン科の新歓コンパが行われる。何か「芸」をやれと言うのでバッハの無伴奏ソナタをヴィオラで弾いてやろうと練習しておいたが、どうもそういう物じゃあないらしいことを悟る。

トロンボーン科の新歓コンパでは、某オーケストラ所属の同郷の大先輩と担任が私の非礼を上級生達にさっさと謝ってしまい、私はもじもじしているうちに手打ちとなってしまった。宴会芸は例によって卑猥な替え歌ばかりだったが(こういう替え歌はそういう好き者ばっかり集まっている肩の凝らない席で上手に歌うと結構面白いんだけどねえ)、私は座布団を5枚も重ねた上に正座してビールを3本続けてラッパ飲みしたらそれですんだ。3本目には教官からストップが入った。だらしない奴らめ。

数日するとまた問題が持ち上がった。私が「トロンボーン科の合宿に行かない」と言い出したからだ。
事のはじめは同級生のIが昼飯を食いながら「あれはキンカン合宿だからなあ」と言い出したことに始まる。

「キンカン合宿って何だ?」問いつめる私。
「だから、塗るのさ」
「どこに?」
「・・・・」

何でもキンカン楽器だからとおもしろ半分に下級生をつかまえて塗ったのがはじまりらしい。

何たる愚劣!何たる低能!

私は断固行かない!と同級生に表明したことからそれが上級生達にも伝わり「おまえ達が何とかしろ」と命令された同級生が連日放課後の説得に当たることになる。

曰わく、「あれは武蔵野音楽大学トロンボーン会の伝統であり、伝統は守らなくてはならない」。「そういう理由で合宿に参加しないと表明した新入生はおまえが初めてである」。「先輩もみんなやられたのだからお前もやられろ」。云々。

「上にやられたことを下にやり返す」徳川時代に醸成された日本人のもっとも卑屈なメンタリティだ。松本清張氏によると江戸時代の牢内で行われた様々な虐待が、新政府になってから陸軍の内務班に取り入れられたらしい。

先日「恩送り」という言葉を知ったが、これでは「仇送り」だ。

それは今まで毎年、新入生は腰抜けばかりでようござんした。俺はやられたことは、やった奴にやり返す。 
同級生の説得が失敗すると、今度は上級生による呼び出しが始まる。

そういう下らない理由で、江古田の地下室に出向かなくてはならないのはかなりのストレスである。そもそも、どこの世界に高い金を払って大学に入ってこれから勉強したり練習したりしなくてはならないのにチンコにキンカン塗られなくてはならない法があるだろうか?

「毎日お前の所為で何時間も話し合いだ」って「そんなこと頼んでねえっつうの!そんな下らないことで何時間も雁首揃えてる暇があったら練習しろっこのぼけどもがあ。だからT音大やK音大に抜かれるんだぁ!」 

とは言えないので、「すばらしい伝統」についてのありがたいお話を先輩諸氏から何時間も伺う有り難い毎日となる。

(続く)

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