2012年1月22日日曜日

京都市交響楽団でのできごとについて

2009年1月、京都市交響楽団音楽主幹の新井浄氏から「是非京都市交響楽団に来て欲しい」という要請を受けた私は京都市市民文化室長平竹耕三氏らの面接を受け、同年4月京都市交響楽団に「副音楽主幹」として赴任しました。900億円を超える負債を抱え、財政再建団体一歩手前の京都市は京都市交響楽団の経営改善という課題を抱えながらバランスシートすら作成されておらず、芸術経営の専門家を欠いた運営が続く中、常任指揮者広上淳一とマネージャー荒井雄司の横暴な要求が続いていました。そんな中、何とか経営を改善しようと京響に乗り込んだ私を待っていたのは同僚達の無視、デスクから資料が持ち去られたりコントラバスをぶつけられるなどの露骨な嫌がらせでした。広上と荒井は専門的知識を持った人間が事務局に表れ、自分たちのやりたい放題ができなくなることを恐れ、京都市幹部に圧力をかけ続けました。

一度は「是非京都市交響楽団に来て欲しい」と頼んでおきながら一転して態度を翻した京都市は、わずか2ヶ月半後の同年6月、私に自主退職するように求め「自主退職しないなら解雇する。経歴に傷が付く。おとなしく自主退職するなら次の職場を紹介する」などと退職を強要しました。

日本のクラシック音楽界で私にふりかかった、様々な災厄について徐々にブログに書いていこうと思います。関係者については内部の人間なら誰でもわかることなので、特に必要のない場合は匿名とせず、すべて実名で記載します。

0 件のコメント:

コメントを投稿