2012年1月19日木曜日

日本の音大の知性と品性


私は本来音大に行くつもりはなく、いくつかの大学の西洋史学専攻を受けたがなぜか皆落ちてしまい、2浪することになってはじめて音大に行くことに決めた。 レッスンを受けていた先生に相談して受験するのは武蔵野音楽大学トロンボーン科に決める。

進学先を音大に決めたとき、設備の整った新しい校舎で学べることに胸をふくらました。私は楽器を始めたのは早かったが、音大受験にはブランクがあったし、ピアノもずいぶんやっていなかったし、演奏家になるのは難しいだろうと思っていたが、それならば音楽や音楽学の研究に専念しようと思っていた。ラテン語やギリシャ語、さまざまな音楽理論を身につけようと思っていたが、その気持ちは入学後すぐに全く裏切られることになった。

まず、ラテン語やギリシャ語は履修できないことがわかった。
音楽理論はほとんどが音大入学前には知識として知っていることだった。
演奏技術もほとんどの学生が私よりずっと未熟だった。

今から考えれば、ブラスバンド上がりで音大に行く人の多くが高校2,3年生ぐらいではじめて先生についてレッスンを受けるので、中学1年から先生についていた私とはかなり差があっても無理はない。

音楽や美術や文学や歴史、哲学などの話をする相手はいなかった。仕方がないので気に入った教官の部屋に入り浸ったが、相手も授業の準備があるから迷惑だし、その教官が毎日研究室にいる訳でもない。

さらにショックだったのは学生の知性である。
新歓コンパは新入生いじめとセクハラだけだった。舞台上に作った「お立ち台」に一人ずつ上がらせ、学籍番号と名前を絶叫させてから残飯やわさび、ソースなどをビールと日本酒に混ぜた「特製カクテルを」一気飲みさせるやりかたは、どのような経緯を経て陸軍内務班から私立の音大に伝わったのだろうか? (英国海軍から帝国海軍を経て伝わったという説もある)

それとも人間落ちるところまで落ちるとやることは同じなのだろうか?

私はこの儀式を拒否して壇上で上級生ともみ合いになる。口からヨダレをたらして殴りかかってきた上級生は地獄の鬼の群れに見えた。(続く)

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