2012年1月29日日曜日

再び採用を取り消される

1994年3月、ミュンヘンから戻った私に埼玉県芸術文化振興財団の準備室から呼び出しがあった。県の部長という方の説明は、以下のような物だった。
「さいたま芸術劇場は前の知事(畑やわら)の肝いりで作られたが、知事が替わって現在の知事(土屋義彦)は芸術劇場の運営にあまり乗り気ではない。そこで予算がカットされて職員も減員されることになった。28人採用されるはずだった職員は22人に減らされるので今回の採用は見合わせる。杦山さんには申し訳ないが、次回に採用がある時には優先して採用するので、今回はご了承頂きたい」。採用を取り消された6人の中に、私が入ったことについて、武蔵野音大を自主退学したり、悪い評判を立てられていることがどれほどマイナスだったかは知る由もない。高崎でのシンポジウムで、創設間もないオーケストラアンサンブル金沢の音楽家達の将来を心配した私だったが、奇しくも僅か3年後に自分自身が、自治体の首長の交代による文化政策の変更による犠牲者となった。リンクを読んで頂ければわかるが、上記の二人の知事はいずれも談合や汚職などにかかわり、大変に評判の悪い人たちだった。

また、こうした施設運営に役立てたいと日本人として初めて、自ら大枚をはたいて行ったミュンヘンでのインターンによって得られた経験や知識が、郷土の文化振興に役立てられる機会はなくなった。ミュンヘンでの経験は誰でも出来る物ではなく、長期にわたってのミュンヘンフィルの楽員との交流、複雑な専門用語を理解できるだけのドイツ語力が有ってこそ得られた物だ。施設のハード面での運用や、契約書、アンケートやマーケティングリサーチなど、いずれも音楽そのものについてかなり理解した上で、高度なドイツ語力がなければ理解できない。その後も文化庁などから「実績のある」方々が「公費で」派遣されているが、元々の音楽に対する知識と、必要充分な語学力がなければ短期間の留学がどれほど役に立つかは疑問である。

もちろん「次回に採用がある時には優先して採用するので」というのはエクスキューズであったことは言うまでもない。こういう約束は担当者が替われば通常反故にされる。

そうした中、高崎芸術短期大学から「講師として働いてみないか?」という申し出がある。
前の年のウィーン・コンツェルトハウスでの演奏で、すっかり私の顔を潰したことに対する埋め合わせである。4月から始まるはずだった仕事のなくなってしまった私は、喜んで講師の話を受ける事にした。ワンマン学長の独裁が不安ではあったが「あれだけ人に大恥をかかせて、迷惑を掛けた自覚があって埋め合わせをするのだから、そう酷い扱いはするまい」と思っていたのが甘かったのがわかるまで、数週間とかからなかった。

(続く)

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