2015年10月22日木曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その3)

3.日本の音大では語学力が十分に養われない。

クラシック音楽の世界で通用する演奏家となるためには、他の分野よりも格段に高いコミュニケーション能力が必要とされる。「音楽の世界に国境はない」というのは使い古された格言だが、今日実際に若い演奏家が活躍しようと思ったらイタリア語やドイツ語以外に英語の会話能力が非常に重要だ。

日本の音大卒業生の中には素晴らしい語学力を持っている人が沢山いる。しかし、こうした人達は音大でドイツ語やイタリア語を習ったわけではなくて大学の学費の他に多額の費用をかけて語学学校に通い、あるいは留学先の音大に通いながら現地で語学を学んで言葉ができるようになった人がほとんどだ。

声楽家にとって、イタリア語とドイツ語は車輪の両輪であり、オペラを歌うにしても歌曲を歌うにしてもこの2つを学ぶことは必須だ。しかし、日本ではどうやら大きな誤解が広まっているらしい。声楽家も聴衆もどうやら「原語で歌えるということは、その言葉が喋れることとは違う」と考えているらしい。これはとんでもない誤解で、仮にネイティブレベルでないとしても、プロの声楽家が歌をうたうためには十分な会話能力が必要なことはもちろん、オペラなどの歌詞が、どの単語がどういう意味でどういう構文になっているかを理解せずに、またそれが会話だとどう話されるのか、その言葉が現代語なのか擬古文調なのか、一つ一つの単語がどう発音されるのかを知らずにきちんと歌うことはできない。

R.シュトラウスの名言に「歌手が歌っている時、指揮者が暗譜している歌詞を追えるだけでは不十分だ。聴衆が難なく台本を聞きとれなくてはならない。そうでなければ(聴衆は)寝てしまう」というのがある。残念なことに、日本の音大だけを卒業した人の場合ドイツ語やイタリア語の歌を歌っても私が近くで聴いていてほとんど聞きとれない人が大多数だ。きちんと歌詞の聞き取れる人のほとんどは本人が大変努力して、長期間を海外で過ごしてしっかりした語学力を獲得した人だ。

冒頭に書いたように声楽家でなくても、音楽を続けていこうと思ったら生涯のほとんどを何らかの意味で多くの外国人と仕事をしなくてはならない。それはオーケストラの指揮者と楽団員であったり、ピアニストと管弦打楽器奏者であったりさまざまである。しかし、日本のプロ・オーケストラの楽団員ですら、かなり多くの人に十分な語学力が不足している。この場合、もっとも重要なのは英語である。さもなければイタリア語、ドイツ語、フランス語の3つを十分に習得していなくてはならないがそれはなかなか大変だ(もちろん、日本人の指揮者や楽団員の中には上記3つ、あるいはさらに英語、ロシア語などを流暢に話す人も多数いる。しかし、全体としてはそうした人たちは少数派だ。

もちろん、英語が十分にできないことは日本の音楽大学の責任ではなくて中高の英語教育が不十分だからだ。しかし、音楽という「業種」が外国語の理解が不可欠な分野である以上、日本の音楽大学は語学教育にもっと真剣に取り組むべきであったろう。今となってはすべては手遅れのように見える。





2 件のコメント:

  1. 大いに賛成です!言葉の能力は、色々なシーンで重要。
    中学高校の間に、しっかりと英語をマスターすべきです。第2外国語も勉強できる高校だと、もっといいですね。

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  2. 最近大学でも第2外国語をやらないところが多くて残念です。ほんのさわり程度でもやっておくと役に立つことがあるのですが。クラシックの勉強をするには語学はとても大事ですし、歌をやる上でイタリア語とドイツ語が車輪の両輪なのは間違いありません。

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