2003年2月28日、東京地方裁判所で判決が言い渡され、結果は日独楽友協会の全面勝訴であった。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
(以下判決理由から抜粋・判決全文はこちら)
戦時加算が認められるためには、昭和16年(1941年)12月7日の時点において、連合国又は連合国民が著作権者でなければならず、単に連合国又は連合国民が著作権の管理を委託されていたに過ぎない場合は含まれないものと解される。
リヒャルト・シュトラウスとフュルストナー社の契約書、第8条に記載されている「übertragen」という語は、ドイツ語では、「譲渡する」という意味と「委任する」という意味がある。しかし、上記のとおり、同契約書において、リヒャルト・シュトラウスは上演権を自分に留保していること(7条)、リヒャルト・シュトラウスは、アドルフ・フュルストナー社に対して、リヒャルト・シュトラウスの名前で上演権に関する契約を締結する権限を与えているが、アドルフ・フュルストナー社は、上演権の対価をリヒャルト・シュトラウスに代わって取り立てなければならないとされており、リヒャルト・シュトラウスは、このために、アドルフ・フュルストナー社に代理権を与えるとしていること(8条)、リヒャルト・シュトラウスに上演権の譲渡権及び管理権が留保されていること(8条)からすると、「übertragen」という語は、「譲渡する」ではなく「委任する」という意味に理解するのが相当である。なぜならば、上演権がアドルフ・フュルストナー社に譲渡されたのであれば、アドルフ・フュルストナー社は、当然に自ら上演権に関する契約を締結できるはずであって、上演権の対価をリヒャルト・シュトラウスに「代わって」取り立てたり、リヒャルト・シュトラウスから「代理権」を与えられたりすることはないはずであるし、リヒャルト・シュトラウスが自己に上演権(上演権の譲渡権及び管理権)を留保しているということもないはずであるから、このような契約は、譲渡契約ではなく管理委託契約というほかないからである。そうすると、本件楽曲については、昭和16年(1941年)12月7日の時点において、連合国民が著作権者であったとは認められないから、原告の戦時加算の主張は認められない。
したがって、本件楽曲については、既に著作権の保護期間を経過したものと認められる。
よって、原告の請求は、理由がないから、棄却することとし、主文のとおり判決する。
0 件のコメント:
コメントを投稿