2018年8月25日土曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(6)

その年の春、このインターナショナルスクールの初代学長を開学直前に解任されたヨルゲン・Kが、オーストリアのニュース雑誌「News」に寄稿した記事によれば、ニュージーランドの億万長者リチャード・Cとウィーンの開発業者は共同で、19世紀に建てられた歴史的にも有名な医師の名を冠する保存文化財の建物の中にあり、美しい緑の公園に囲まれた本来は1億ユーロ以上の価値のある6棟のパビリオンのうち3棟を、「最低でも15年間学校として使用する」ことを条件にこの物件をウィーン市から1420万ユーロ購入し、この「エリート音楽家育成のための」新しいインターナショナルスクールの設立を計画したと言うものだった。

リチャード・Cはロシアのオリガルヒのマネー・ロンダリングを引き受け、インターナショナルスクールはただの隠れ蓑に過ぎず、15年経過後にはこのパビリオンを超高級住宅として転売して膨大な利益を出そうとしているというのである。

学長を解任されたヨルゲン・Kはもちろん、当時の経営陣に極度に批判的であり、これが事実かどうかは私には確かめようもなかった。しかし、音楽学校の経営にはほとんど素人としか言えないドイツの運営会社(しかも本社の所在地はロンドンとなっている)が極めて付け焼き刃で人選もきちんと行わず、膨大な予算を湯水のように浪費して、学校としてはまだまったく成果の出ていない音楽学校を経営している様は、私には異様にしか見えず、この記事がまったくのガセネタだとは言い切れないのであった。

2013年4月、ウィーンに戻った後私は校長代行であったクルト・Bと話し合いを持って、この記事について率直に質問したが、校長の答えは「本校は地上げなどとは何の関係もない」とのことだった。そして、クルト・Bはその後の生徒募集についても積極的に行ってほしいと熱心に要請してきた。日本からの生徒は是非増やしていきたいとの考えだとのことだった。

2018年1月28日日曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(5)

3月下旬、私はインターナショナルスクールのプロモーションのためにクリスティン・Wとともに日本での大規模な青少年のための音楽祭に赴いた。世界各国から音楽を学ぶ青少年の集まるこの音楽祭の重要性はすでに前年の暮れからクリスティン・Wのほかホルヘ・N、クルト・Bなどにも力説しておいたのにインターナショナルスクールは何の準備もしておらず、ホテルも予約されていなかった。この音楽祭は地方都市で行われたため周辺のホテルは年明けにはすでに満室となっており、インターナショナルスクールの事務が3月にシングルルーム2つを探した時には50km近く離れた小さな温泉地のホテルしか空いていなかった。インターナショナルスクールは1泊が5万円ほどとなる定員4名の和室二部屋を、クリスティン・Wと私のために予約し、私たちは3日間、片道1時間ほどかけてタクシーで音楽祭の会場に作ったブースに通うこととなった。

しかし、急ごしらえで作ったかんたんなパンフレットの他はすべて英語の資料ばかりで、当初要求したプロモーションビデオやデジタルサイネージ、音響セットなどは準備が間に合わず、Wと二人では十分な対応はできなかった。

音楽祭の最終日、Wと私はこの音楽祭のメインとなるオーケストラのコンサートを聴いた。Wと並んで座席に座ってオーケストラがチューニングを始めると、Wが信じられないことを私に聞いた。

"What is the name of round brass instrument behind violins?"

私は耳を疑いながら答えた。

"French...horn..."

宿に帰ると、沢山のメールの中にシンシアからの連絡があった。
「学校についてオーストリアの雑誌に記事が載ったので知らせたい」
とのことであった。




2018年1月17日水曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(4)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しいマネージメント会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットに行っている営利事業である。

2013年2月、私は本来大変多忙であった。

中旬にはその年の夏にエストニアで行われる音楽祭の打ち合わせのためにタリンを訪問する予定になっていた。月末から3月始めにかけてはフランスとドイツでの仕事が決まっていた。その間を縫うように、日本からインターナショナルスクールの訪問する家族を案内することになったので、日本からヘルシンキとタリンを経由して向かうはずだったウィーンに本来よりも2週間早く行かなければならなくなって、日本での様々な予定を変更しなくてはならなくなった。しかし、インターナショナルスクールとの契約ができたので前年の秋から事実上無償コンサルタント状態だった分も含めて報酬も支払われ、私としても多少経費がかかっても時間を割いて学校視察の案内をすることにしたのだった。2月初め学生事務担当者のハイドロン・Kにメールで学校訪問について連絡した。クルト・B とは当初ボーディング施設に家族で宿泊してもかまわないという話だったのだが、その間にシンガポールからの見学者が入ってしまって両親は一緒に泊まれないというので、市内に別にアパートを用意した。私にとって厄介だったのはほとんどすべての関係者がドイツ語ができるので、連絡事項については本来はドイツ語のほうが私にとっては簡単なのだけど、数人いるドイツ語の分からないスタッフのためにメールでの連絡や会議での話はすべて英語でなくてはならなかった点で、急ぎのメールでも辞書を引き引き英語で書いて送らなくてはならなかった。ドイツ語なら辞書など見なくても良いからすぐに書いて送れる。例えば学校見学に関してハイドロン・Kに送るメールは、クリスティン・W以外は全員ドイツ語がわかるのに英語で書く必要があった。

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日本から学校訪問した小学生は、その場でピアノの実技試験も受けることになったので、練習室の確保などを依頼したのだが、メールを英語で書いて全員にCCにしているのにもかかわらず、非常に返事も遅く、段取りも悪く、実際日本からの家族がウィーンについてみると、打ち合わせ通りに準備ができていないことばかりだった。実はネイティブスピーカー以外の何人かは、私を含めて英語で事務連絡をするために文案を考えたり、スペルや文法ミスをしないでそれを書いて送るためにドイツ語よりもずっと手間を掛けて行っていて、そのことが学校内でのコミュニケーションを非常に混乱させているのだった。この学校はドイツ語圏のウィーンにあるのに、全くドイツ語を理解しないスタッフが数人いるのだ!
日本からの小学生は音楽アカデミーのフォルカー・Hとエリザベート・Wの前でオーディションを受けて、その場で入学を許可すると言い渡された。フォルカー・Hは音楽の能力のほうが大事で、学校の成績や英語の能力は二の次だとはっきりと言った。私は少々困惑した。何故かと言うともう一人の入学希望者であるイギリス留学中の日本の中学生は英語は大変良くできるし成績も抜群だが、チェロの演奏はアマチュアレベルだったからである。

ギュンター・Bもクルト・Bも「試験」の場には姿を表さなかった。クリスティン・Kはウィーンには現れなかった。しかし、間もなくフォルカー・Hとギュンター・Bの対立が決定的となり、フォルカー・Hも半年足らずでこの学校を去ることとなった。私がフランスとドイツから戻るとフォルカー・Hは「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」を解任されていた。

2018年1月9日火曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(3)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しいマネージメント会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットに行っている営利事業である。

2013年1月、ウィーンのインターナショナルスクールでは学期休みを前に数週間校長不在の状況が続いていた。学校運営企業はベルリンから数人のスタッフを毎週ウィーンに送り込んで交代で穴を塞いでいたが、そのために膨大な経費が発生しているという話をシンシアから聞いた。

すでに日本で面談した二人がこの学校に入学を希望していたが、私はクリスティン・Kに「Nが解任されたのに校長も決まらない状況で、私はまだ学校と契約もされず、経費も支払われないのであればもう協力はできない」と言うメールを送った。すると、この学校で働いていたシンシアとKから「すぐに投資家のビル・Dと電話で話して欲しい」という連絡が来た。スカイプでDと話し合い、それまでの経過と様々な問題点について報告した。ヨルゲン・Kからホルヘ・Nにはどうやらまともな引き継ぎはされておらず、学校の当初のコンセプトについても具体的な説明がされていないような印象を受けたことも話した。またシンシア以外音楽の専門知識を持ったスタッフがおらずこれでは「ミュージックアカデミー」の運営は不可能であるとの意見も述べた。すると1月31日、クリスティン・Kから「すぐに契約をしたいのでウィーンに戻ってきて欲しい」という連絡が来た。私は即座にウィーン行きの便を予約して、2月1日にウィーンに戻った。

ベルリンの学校運営企業は2月はじめにギュンター・Bを暫定的に校長代理としてウィーンの学校に派遣してきた。ギュンター・Bはシンガポールに駐在経験があって初代校長のヨルゲン・Kや「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hとともにこのインターナショナルスクールの準備段階から計画と運営に関わってきたが、本来教育者の経験はなくてマネージャーであることから学校運営企業は補佐としてもう一人のマネージャー、クルト・Bを副校長として、またミヒャエル・Wをもう一人の補佐として交代でウィーンに出張させ、三人が交代で業務に当たるようになった。

ウィーンに戻ったその足でインターナショナルスクールを訪ねた私はこうして、本来の学校側の代理人でパーソナルマネージャーであるクリスティン・Kとではなくクルト・Bと契約を結ぶことになった。そして、契約の内容もアンサンブルやオーケストラの指導ではなく、日本語地域でのマーケティング担当者で「ミュージックアンバサダー」という名称のポジションが用意され、報酬は全額固定ではなく毎月1500ユーロとリクルートした生徒一人あたり初年度学費の10%(寮費は含まれない)、必要経費は当面学校運営企業が必要と認める経費を支払うというものになった。2月中旬には小学生と両親が学校を見学にやってくることとなり、私はすぐに三人のための旅行や見学の手配を行うこととなった。そして、日本でのマーケティング活動の第一歩は、3月に長野で行われる大規模なクラシック音楽のイベントに参加することとなったが、このイベントでのプロモーションはすでに9月に提案してあったものであった。しかし、2月になって急遽イベントに参加することが正式に決まったためホテルの予約すら困難で、結局会場からタクシーで1時間もかかる、小さな温泉地にようやく私とクリスティン・Wのための二人の部屋が確保できた。温泉地なので本来四人用の和室を二部屋手配するという非常に高く付くものとなった。

2月中旬、日本からこのインターナショナルスクールを事前見学に来た親子を案内中に、校長代理のギュンター・Bと「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hの対立が目立つようになってきた。二人は生徒たちや来客の前で口汚く罵り合うことが多くなり、私もそうした二人の怒鳴り合いを何度か目にした。

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人名が多くなったので、以下に一度整理する。

投資家:
ビル・D(世界的な衛生用品メーカーの会長)
リチャード・C(グローバルな投資家)
ウィルソン・G(シンガポールのデンタルクリニックチェーンの創始者)
アレキサンダー・O(ベルリンにある学校運営企業の代表、2014年に一時的に校長となる)。

校長たち:
ヨルゲン・K(初代校長、2012年7月インターナショナルスクールのオープン前に解任される。ドイツのジャーナリストでアジア駐在を経験)
ホルヘ・N(二人目の校長、2012年夏に学校運営企業によって任命され、2013年1月に解任される)
ギュンター・B(三人目の校長でビジネスマン。シンガポールでマネージャーの経験があり、当初より学校設立に関わるが初代、二代校長を始め「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」のフォルカー・Hなどと次々に対立。2014年3月に解任される)。
クルト・B(2013年2月から2014年3月までの副校長。2013年秋以降次第にウィーンには現れなくなる)
アレキサンダー・O(ベルリンにある学校運営企業の代表、2014年に一時的に校長となる)。
クリス・G(2014年1月にボーディングマネージャーとして雇われるが同年夏に校長となる。現在も校長)。

スタッフ:
ミヒャエル・W(マネージャー。私の契約更新時の学校運営企業の代理人。2014年4月に解任される)
ドリス・H(会計責任者)
ハイドロン・K(学生事務担当者)
シンシア・P(音楽アカデミー代表者。私の音大時代からの友人。2012年12月に音楽アカデミーのスタッフとなり、その後音楽アカデミーの代表を務める。2014年8月に退職)。

音楽アカデミー:
フォルカー・H(初代の「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」2012年暮れに現れ、2013年3月ギュンター・Bと対立して辞任する)。
ヨハンネス・M(2013年夏にフォルカー・Hの後任としてウィーン少年合唱団附属小学校からヘッドハンティングされるが2014年6月に退職)
ミッチ・S(2016年頃から「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」となり、2018年1月に更迭される)。
アレキサンダー・G(ロシア出身の有名ヴァイオリニストだが2013年秋に投資家のウィルソン・Gと対立し辞任)
ニコラウス・K(ドイツ人ヴァイオリニスト。2012年から音楽アカデミーで教えるが、2015年に退職)。






2018年1月5日金曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(2)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しいマネージメント会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットに行っている営利事業である。

2012年末、日本に帰国した私は二人の留学希望の小中学生の両親と面談した。一人はピアノを演奏する11歳の小学生で家族とともに海外で音楽に専念することを希望しており、もうひとりはチェロを演奏する13歳の中学生で、すでにイギリスのボーディングスクールに留学中だが転校を希望していた。ウィーンのボーディングスクールで英語で勉強を続けながらウィーン・フィルの首席奏者からチェロのレッスンを受けることにとても期待を抱いていたこともある。

新しいインターナショナルスクールとまだ契約もしていなかった私は必ずしもこの学校だけを推薦するのではなく、特に小学生にはもしウィーンで音楽をやりながら勉強したいのならウィーン少年合唱団の小学校、中等学校も候補に入れてはどうかと薦めた。新しいインターナショナルスクールの授業料は300万円近く、ボーディングもいれると年間700万円近い金額となる。

それに対してウィーン少年合唱団の学費は小学校で275ユーロ、上級学校で250ユーロほどだ(昼食費込み、年に10回)。同じ私立でも新しいインターナショナルスクールとの差はなんと20倍にもなる。ウィーン少年合唱団の入学試験は主に歌の試験だけで、ソルフェージュなんて日本の音楽系の小中学校と比べれば恐ろしく簡単だし、基本的に面接だけで学科の試験はない。

ウィーン少年合唱団は他のブログにも書いたように国立公園のアウガルテンの中にあり、その環境は申し分ない。合唱団は変声期を迎えると容赦なくクビになってしまうのだけど、いまは女の子も入れる上級学校がある。しかし、学科の成績は一般の小学校、中等学校にくらべてあまり芳しくない。したがって、将来音楽の道に進まないで一般の進学をする場合は入れる大学などは限られてしまう。
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2013年、ウィーンのインターナショナルスクールではフォルカー・Hが常勤の”Head of Music"となり、Hの子どもたちもプライマリースクールで校長のNの子どもたちと一緒に通い始めた。しかし、年明け早々に行われた投資家たちの理事会では学校運営会社に苦情が殺到していた。この学校の初年度の生徒数の目標は60人、それに対して実際には全学年合わせて20人ほどの生徒しか集まっていなかったのである。理事会の苦情を受けて学校運営会社は2週間ほどのうちに二人目の校長であるホルヘ・Nを解任してしまった。はじめのうち引きつった顔で学校に来ていたホルヘ・Nは1ヶ月ほどすると子どもたちを連れて姿を消してしまった。

後任の校長が誰になるかわからないまま、私は再び契約を待たされることになった。クリスティン・Wは「新しい校長が誰になるかわからないと契約できない」と言ってきたし、契約書の内容や条件も一転二転してわけのわからないものだった。

2018年1月4日木曜日

ヨーロッパのインターナショナルスクールについて(1)

ヨーロッパのインターナショナルスクールすべてがこのインターナショナルスクールのように怪しげな経営だと言い切るつもりはない。しかし、英語圏以外で英語で教育を行っている新興のインターナショナルスクールの多くは、このインターナショナルスクールと同じように教育に経験の乏しい学校運営会社がアジアやロシアなど新興国の富裕層の師弟をターゲットにに行っている営利事業である。


ウィーンに新しくできるインターナショナルスクールの運営に協力してくれないかと友人のシンシアから誘われたのは2012年の夏のことだった。

そのインターナショナルスクールは、最高水準の音楽教育を行いながらIB(国際バカロレア資格)が取れるというユニークな教育を目指しているとのことだった。誰でも知っているグローバルな衛生用品の会社の会長が投資家の一人で、ウィーンの英字新聞の編集長に適任な人材を探してほしいと依頼してきたことから、その英字新聞の記者をしていたシンシアに声がかかり、シンシアはアンサンブルの指導やアートマネジメントの心得がある私に強力を求めてきたのだ。

8月の末、シンシアとともに9月から新しくオープンするキャンパスに校長のホルヘ・Nを訪ねた。キャンパスはウィーンの高級住宅街の中の先指摘にも大変有名な産科病棟の一部を買い取って作られていた。ホルヘ・Nは北欧と南米系のハーフでインターナショナルスクールの経営に経験があるということで、後でわかったことだが、この時点ですでに二人目の校長だった。初代校長に就任するはずだったヨルゲン・Kはマネージメントの学校運営会社によってすでに解任され、開校を数ヶ月前にして急遽Nが招かれたのだった。30分ほどの会見だったが、Nは訪問を大変喜んで「マネージメントには音楽の専門家が誰もいないのでぜひ協力して欲しい」と言うことだった。ウィーンにある学校の校長となるホルヘ・Nが一言もドイツ語ができないこと、「音楽の都」ウィーンに最高水準の音楽教育を行うインターナショナルスクールを設立するのに「マネージメントに音楽の専門家が誰もいない」というのにはいささかびっくりした。この学校は午後3時頃までは一般の科目の授業を英語で行い、そのあと「音楽アカデミー」のレッスンを行うことになっていたのだが、「音楽アカデミー」の先生はすべて外部の超有名講師が行い、その中にはフルートのヴォルフガング・シュルツやチェリストのフランツ・バルトロメイなどウィーン・フィルの首席奏者、イルディコ・ライモンディのような有名オペラ歌手も含まれていた。

私は音楽マネージメントの経験があるが、専門は音楽を教えることなので、是非アンサンブルやオーケストラの指導を任せてほしいと言って、校長のNは了承したとのことだった。そして、条件面の交渉や契約はパーソナルマネージャーのクリスティン・Wが行うから、連絡を待ってほしいとのことになった。Wは上海在住の中国人女性で、投資家の一人である会長の元でかつて秘書を務めたことがあることから、この学校のマネージメントを任された学校運営企業とは別にパーソナルマネージャーとアジア地域のマーケティングを任されていた。

授業が始まる9月になっても校長からもクリスティン・Wからもなかなか連絡がなかった。10月になってWからの電子メールが頻繁に届くようになったが、内容は学校での教育内容の話ではなくて「日本からどのくらいの生徒が集められるか」という質問がほとんどだった。どうやら、学校が標榜しているような教育ができる人材を集めることよりも、まずは生徒を集めることが先決のようだった。私は「自分が教えている学校であれば生徒を誘うこともできるが、そうでなければ生徒の募集などできない」と答えた。

その間にドイツ人の指揮者フォルカー・Hが「ヘッド・オブ・ミュージックアカデミー」に就任したとの連絡を受けた。音楽関係の提案はすべてフォルカー・Hを通してほしいとのことだったが、クリスティン・W同様、フォルカー・Hもほとんど学校に現れることはなく、次回の面談は11月末にセッティングされ、そこで条件などが話し合われることになった。

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2012年11月末に、開校してまだ3ヶ月のキャンパスで私とシンシアはおのおのクリスティン・Wと面談した。Wはシンシアには主にウィーンを中心としたヨーロッパ、私には北東アジアでのマーケティングに協力してほしいとのことで、当初の校長との話とは違い音楽や音楽マネージメントについてよりもドイツ語や英語、日本語地域でのマーケティング協力者を求めているという話になってきた。この時点でシンシアと私は顔を見合わせたが、投資家の会長とも連絡を取りつつ協力しようという話になった。

校長のNの子どもたちはこの学校に通うようになっていた。

シンシアは12月からスタッフとなることが決まったが、私はWとの条件面での交渉がまとまらず、契約は年明けに持ち越しとなった。しかし、年末帰国するにあたり、このインターナショナルスクールのパンフレットをごっそり持って帰ることになった。

その後、シンシアからはこの学校の成り立ちについていくつかの捕捉の情報がもたらされた。この学校の出資者には衛生用品会社の会長の他にシンガポールの歯科医師、ニュージーランド人の資産家リチャード・C、ドイツの投資家、アレックス・Oなどがいる。現在はアレックス・Oの経営する、ロンドンに本社を置く学校運営企業によって運営されている。これらの出資者の共通点はシンガポールでビジネスをおこなっていることで、ドイツ人の指揮者フォルカー・Hもシンガポールのナンヤン大学の一部である、ナンヤン音楽アカデミーで指揮者をしていたことから招かれたものだった。

シンシアは契約書の原本をドイツ語で作ること、所轄裁判所をウィーンとすることを粘り強く交渉したが結局私もシンシアも契約書は英語、所轄裁判所はロンドンとする契約をせざるを得なかった。このことは、もしトラブルが発生した場合には、私たちはほぼ泣き寝入りしなくてはならないことを意味する。ウィーンや東京に住んでいて、弁護士を雇ってロンドンで裁判を進めるのは、裁判経費が訴訟額の何倍にもなるからだ。


2016年10月9日日曜日

武蔵野音楽大学 福井直敬学長への公開質問状


私は昭和56年4月武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科に入学しました(トロンボーン専攻、学籍番号A11755)。

大学に入学した者であれば誰でも同じだと思いますが、私も充実した楽しいキャンパスライフを夢見て胸をふくらませておりました。

しかしながら私の夢は入学後まもなく無残に打ち砕かれることとなりまし た。入間校地体育館で行われた管楽器新入生歓迎コンパは「歓迎」とは名ばかりの残酷な新入生いびりの場であり新入生一人一人が舞台上に置かれた「お立ち台」と名付けられた指揮台に登って学籍番号を絶叫し、大きな丼に満たされたビール、ウイスキー、日本酒にわさびや辛子、残飯や吸い殻までを混ぜ合わせた物を飲 まなくてはならないという儀式でした。

さらに悪夢であったのは男子新入生は夏のトロンボーン会の合宿で陰茎に虫さされの薬「キンカン」を塗られるという話を聞いたときからです。私は「そのようなことが行われるのなら合宿には参加しない」と表明しまし たが、以来連日江古田練習室に呼び出され、「武蔵野音楽大学トロンボー ン会の伝統を破壊するのか」などと上級生に土下座を強要されるなどのいじめが続きました。担当教官であった木下利男教授からも「そのような理由で合宿に参加しないのはお前が初めてだ」と叱責されました。

翌年、2年生となった私は新入生歓迎コンパでの飲酒強要行為をやめさせ るよう学生部の古庄先生、仲地先生に個人的に文書で申し入れ、部分的にこれに成功しましたが、これに恨みを持った一部同級生らから夏のオーケストラ合宿時に私を押さえつけ無理矢理陰茎にキンカンを塗ったことから 酷い火傷となり、30年以上たった今でも消えることのない黒い傷となっています。

ご存じの通り「キンカン」はアンモニアを含む劇薬であり、粘膜に使用してはならないことは使用上の注意にも大きく書かれています。また、この様な薬品を集団で陰部に塗布するなどと言うことは教育の府でありうべか らざることであり、ましてや一部教員が学生にこうした行為をおもしろ半 分に焚きつけたことは、許されないことです。

その後私は大きな心の傷を負って数ヶ月後に武蔵野音楽大学を自主退学せざるを得なくなりました。私の受けた行為は共謀共同正犯による暴行障害 事件であり、民事のみならず刑事事件として当事者らの刑事処罰が行われて然るべき物です。

この件では実際は被害者である私が「武蔵野音楽大学トロンボーン会 の伝統を壊した」などとその後長きにわたって非難され、江古田校地の練習室では私の写真がダーツの的になっていたとまで聞いています。また、キンカンを拒否したことで先輩との関係が絶たれその後の人生においても 悪評を立てられるなど、様々な不利益を受けました。

ところが最近になって多くの武蔵野音楽大学卒業生らと交流するようになり、この様な犯罪行為が今でも行われていることがわかりました。これは許されざることであり、刑事事件として、また民事事件として訴追されるべきことです。


2012年以来、武蔵野音楽大学 福井直敬学長と理事、監事に対してこの件について説明し、当時納入した学費を返還することも要求しましたが、その後何の回答もなく、また学費の返還も行われていないことから、この度インターネット上に公開質問状を掲示して福井学長の回答を求めることとしました。

1.武蔵野音楽大学では、新入生の性器にキンカンを塗ったり悪戯をするという行為が、いつからどの学科で行われていたのでしょうか?。

2.もし、まだ行われているとしたら、暴行傷害事件が学内で継続的に行われていることを、学長及び理事会はどのように考えているのでしょう?

3.このような犯罪行為の被害者は合計で何人くらいになるのでしょうか?

4.武蔵野音楽大学での暴行傷害事件の被害者の中には肉体的、精神的に傷害を受けた人はどのくらいいるのでしょうか?

5.武蔵野音楽大学での暴行傷害事件によって退学を余儀なくされた方や、後遺症に悩まされている方はいないのでしょうか?

6.武蔵野音楽大学は学内で現役の教授が焚き付ける様な形で長年このような行為が行われていた ことに関して、どう考えるのでしょうか?

7.武蔵野音楽大学は、大学としてこの件を謝罪し、正確な被害者の数を調査し、被害者に賠償を行うつもりはないのでしょうか?

以上、このブログ上に福井学長自身が実名で回答することを求め、回答がない場合は定期的にその旨をツイッターなどで発信します。

また、武蔵野音楽大学、その他の音楽大学で同様な暴力行為、セクハラ、パワハラを受けた方からの情報を受け付けます。

2016年10月3日月曜日

日本の音大の先生に「あなたにはドイツ語のほうが向いているのではないか?」と言われた時

地方の音大声楽科4年生が「ドイツ語圏の音大に留学したい」と私に相談に来たことがある。3年半習った主科担任の先生がその大学の大学院を受けることを勧めず、「あなたにはドイツ語のほうが向いているのではないの?」と言ったという。こういう場合先生の意図が何なのかをよく考える必要がある。まず、先生がドイツオペラやドイツリートの専門家であるなら、あるいはイタリア語もドイツ語もどちらも得意としているのであれば、その言葉は文字通り先生が聴いてもその学生の声は「ドイツ語に向いている」という風に思ったのだろう。しかしそうではなく受験前から、あるいは入学後ずっとイタリア語の歌曲やアリアをやってきて、卒業間際に「ドイツ語のほうが向いているのではないの?」と言われた場合、その言葉は「あなたには少なくともイタリア語の歌は向いていない」という意味であり、つまりは「あなたは声楽には向いていない、もしかしたら私の専門でないドイツ語専門の先生なら、違い意見かもしれないけど」というくらいに取ったほうが良いかもしれない。歌ってもらうと案の定、呼吸法に大きな問題があり、発音以前に発声を基本から学び直さなくてはならない状態であった。この学生が選んできたアリアはどれも大曲ばかりで非常に声量を要求される曲だったが、ヴィブラートをはじめパッサージョの母音の位置など様々な問題があった。3年半日本の音大で声楽を専門に習って来て、発音や発声はおろかヴィブラートのコントロール、呼吸法にいたるまで基礎がまったく出来ていないことは驚きである。試しにいくつかイタリア語の歌を歌ってもらったが、問題点は同じであった。私は「もし留学するのであれば日本の大学院に当たるアウフバウからではなく、大学1年生にあたるグルントストゥディウムを受けるように。そのためになるべく早く渡航して語学学校と声楽の基礎を現地で習うように」勧めた。これはドイツ語、イタリア語の問題ではない。さらに後期試験では先生の指導できないようなスラヴ言語のアリアを歌うことになっているそうだった。

あとで聞いた話では、日本の音大を卒業してから、もう一度海外の音大の1年生からやり直すことに、本人もご両親も納得がいかないようであった。日本の音大卒のプライドが留学の際に壁となってしまうと、留学しても学ぶものは少ないだろう。留学支援会社を通して有名な先生の夏期講習を受けると言っていたこの学生が、その後どうしたかの知らせはまだない。

2016年10月1日土曜日

日本の音大を辞めようと思っている方へ

今年も9月になって、非常に多くの方から「日本の音大で嫌な思いをたくさんして辛いのですが、どうしたら良いでしょう?」「日本の音大を辞めたいのですが、どうしたらいいでしょう?」というメールを頂くようになりました。このようなメールは毎年、夏休み前には少ないのですが、夏休み明けに急に多くなります。夏の間に悩んでおられる方が多いのでしょうが、できれば夏休み明けご相談いただいたほうが良かったと苦慮しています。と言うのは、辞めたいと思っている方の多くが後期の授業料を納入してしまってから「やっぱり日本の音大は続けていけない、辞めたい」と思うからです。中には「前期からすでに辛かった」「1年生の時から疑問を感じていた」という方も多いです。

しかし、現実的にはもし一度日本の音大に入ってしまった場合、もしドイツ語圏への留学を考えているなら1年生の単位は取ってしまい、1年次を終了させてしまうことをお薦めします。その後で、決断ができるのであれば2年生には進級せず、1年生のうちに留学準備を済ませ、留学先も決めておくことがベストです。そうすれば貴重な時間をあまりロスしないですみます。

日本の音大を辞めて留学しようと思う方に言っておきたいのですが、まずは自分の技術が国際的に通用するだけのものなのかをよく見極めてください。もちろん、留学によって得るものはそれぞれあると思いますが、もし海外経験をしたいだけならワーキングホリデーなどを使うことの方をお薦めします。また、留学準備のため日本で長期間語学学校に通う方が多いのですが、それで留学を先延ばしにするくらいなら受験の前に早めに渡航して現地の語学学校に行くことをお薦めします。

かなり多くの方から同じような質問がありましたので、ここでお答えしておきます。

ブログへのコメントについてお願い

ブログをお読みいただいてありがとうございます。
ブログへのコメント書き込みについて、お願いします。
このブログは、実名で実際あった出来事について書いております。
今後ブログへの書き込みにあたっては実名または普段使っている芸名で、またできれば簡単なプロフィールないし、プロフィールのわかるようなリンクの表示をお願い致します。

例:すぎやまなおき、指揮者です。武蔵野音楽大学を中退し、ウィーン国立音楽大学に留学しました。

今後、匿名でのコメントについては消去する可能性がありますので、前もってお知らせしておきます。

2016年3月31日木曜日

「お前はもう終わっている!」三文オペラ著作権終了を宣言する上演に協力のお願い!

2月初め、宮崎県立劇場で上演が予定されていたクルト・ワイル作曲の「三文オペラ」が上演が開演10分前に中止されるというスキャンダラスな事件が発生しました。敗戦国である枢軸国の中でも、有色人種である日本だけが押し付けられた不条理な「戦時加算」を考慮しても、すでに著作権の終了しているワイルの作品に対して「著作権」を主張するドイツの会社の代理人を称する事務所の主張に、主催者が屈服したことが原因です。その後、各地で行われる予定だった「三文オペラ」の上演は同じ理由で次々に取りやめられました。

私は、このブログにも書いた通り2002年6月にR.シュトラウス作曲の歌劇「ナクソス島のアリアドネ」を新国立劇場で上演し、その際に英ブージー・アンド・ホークスの代理店である日本ショット社から執拗な請求と攻撃、上演妨害を受けながら上演を強行してブージー・アンド・ホークス社から提訴を受け、最高裁判所まですべての裁判を弁護士を付けずに、すべての資料を自ら翻訳し、すべての書証を自ら準備して勝訴し、著作権の終了と戦時加算の無効を立証しました。

この時私は、クルト・ワイル(1950年没)やシェーンベルク(1951年没)についても、将来同様な問題が生じるだろうと考え、是非彼らの作品も積極的に上演して著作権問題を世に問いたいと考えていましたが「ナクソス島のアリアドネ」上演での多額の赤字によりさらなる上演は不可能で、結局2005年に「ナクソス島のアリアドネ」を再上演するにとどまりました。

ワイルやシェーンベルクはアメリカに亡命してアメリカの市民権を得ているため、彼らの作品には戦時加算が適用されてきましたが、実は「三文オペラ」や「月に憑かれたピエロ」「浄夜」などの作品には重大な疑義があります。それは「太平洋戦争中も楽譜及び上演権の管理がドイツ(に併合されていたオーストリア)の出版社ウニヴェルザル社にあったことです。

連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律は昭和十六年十二月八日から日本国と当該連合国との間に日本国との平和条約が効力を生ずる日の前日までの期間「連合国および連合国民の著作権が大日本帝国及び日本国において保護されていなかった」という強弁によって有色人種である日本人にだけ押し付けられた理不尽な法律で、本来は「敵性作品であるためこの期間上演や出版が行われなかった」のだから加算どころか短縮されるのが筋なものです。同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ブルガリアなどは連合国側からこのような条約を押し付けられませんでした。そのため、今後TPPが発行した場合などに予定されている著作権の70年伸長にあたっては、過去にこれらが適用されてきた連合国および連合国民の著作物に関してはこの法律が適用されてきた期間だけ、伸長を延期するべきだと考えます。

私は、このような不条理な条約がいまだに効力を持って運用されていることに抗議するとともに、我が国においてクルト・ワイルの著作権が終了していることを宣言するために、是非「三文オペラ」を上演し、著作権の終了を立証したいと思います。同時にワイルやシェーンベルク、プロコフィエフのような作曲家の作品について、各演奏団体や主催者が過去に支払った著作権料が過誤による不法な請求だったことを立証し、これらを返還させる運動も提起したいと思います。公共の組織や団体がこのような取り組みを行うことは、極めて難しいと思いますので「法人格なき社団」である日独楽友協会が再びこの任に当たること、そして全責任を私が負うことが最も適当かと思います。

つきましては、全国の音楽家、音楽愛好家の皆さん、戦時加算という屈辱的な条約の廃棄を求める愛国者の皆さん、人種差別と戦い、文化が人種や民族の違いなく世界人類共通の財産となることを願う皆さんに、是非この上演をご支援いただけるようお願いいたします。

まずは、近く支援を呼びかけるクラウドファンディングサイトを立ち上げますので、100円でも100万円でも構いませんので、是非ご寄付をお願い致します。日本人が国際社会において文化面でも対等に扱われるための活動を是非ご支援ください。また、公演と練習のための会場(河原、河川敷の私有地で上演にクレームの付かない場所、倉庫、地下室、廃校など無料で使用できる場所)をご提供いただける方も是非ご連絡ください。

次に、この「三文オペラ」上演にご出演いただける皆さんを募集いたします。キャストについてはこちらのリンクをご覧ください。上演については原語上演とするか、日本語上演とするかまだ決めておりません。場合によっては両方の原語の版を各々上演する可能性もあります。この作品は音楽付きの演劇であり、いわゆる「オペラ」ではないことを予めご承知おきください。したがって、キャストは「歌も歌える俳優」であっても「演技もできる歌手」であっても構いません。あらすじなどはリンクに簡単に書かれておりますが、この作品は上演後まもなくナチスによって「退廃芸術」と決めつけられ、上演を禁止された退廃的な内容であり、登場人物も殺人犯、売春婦などアウトローが多く、使われる言葉も非常に粗野なものですので、予めご承知おきください。

演奏者は概ね次のような方を募集します。
フルート、クラリネット、サクソフォン、バスーンのいずれか2種類が持ち替えで演奏できる方2名(ないし若干名、普段専門でないほうの楽器が多少調子っ外れなのは構いません)。トランペット2名(B管の細管ジャズトランペット使用のこと)トロンボーンとコントラバス、バスーン、アコーディオン、打楽器のいずれか2つを演奏できる方若干名。鍵盤楽器各種(ピアノ、ハーモニウム、チェレスタ)演奏できる方で練習時のピアノも担当できる方。打楽器(マルチ)若干名。指揮者(上記の楽器のうちいずれか2種類を演奏できる方で、私と練習の交代、並びに公演の指揮ができる方。
演出助手若干名。いずれも音大卒、または同等のレベルの方。

報酬並びに経費
クラウドファンディングサイトで集まった寄付金、並びに公演時に集まった木戸銭(1回三文、もしくは3グロッシェンを予定。詳細は次報にて)から公演経費を差し引いた残額を練習及び出演回数、時間に応じて分配。

上演の時期
確保できる会場によって、2016年7月〜10月くらいを考えています。全国各地、アゴアシご負担いただける方がいれば上演に伺いたいと思います。


2015年11月8日日曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その7)

7.日本の音大はモラルのないコピー文化が蔓延している
私は1981年、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団首席奏者のアロイス・バンブーラ氏と知り合い、その後4年間にわたって氏のレッスンを受けることになる。アロイス・バンブーラは1934年から1982年まで、ナチスによってオーケストラを追われた期間があったものの足掛け48年にわたってSKDの首席トロンボーン奏者を務めた。その、アロイス・バンブーラが1960年から63年にかけて執筆したのが3巻からなる教則本「トロンボーン教程」"Die Posaune"である。







バンブーラと知り合って、私は早速この教則本を入手して学び始めたのだが、その際に意外に思ったことがある。日本の有名なトロンボーン奏者であるI氏のトロンボーン教則本の序文と、アロイス・バンブーラの"Die Posaune"の序文がまったく同じものだったのである。


野田彰氏翻訳のバンブーラ日本語版と、I氏の「トロンボーンメソッド」 
I氏は元N交響楽団の首席トロンボーン奏者で、東京藝術大学や国立音楽大学の講師を歴任し、日本のトロンボーン界では大物である。そのI氏が最初大手の楽譜出版社から出版し、その後は小さな出版社から出版を続けた「トロンボーンメソッド」の序文が"Die Posaune"の序文を単に翻訳してコピーしたものをそのまま使っていたのである。しかも、この序文はトロンボーン奏者となるための身体的条件から楽器の歴史、呼吸法までに及んでいてかなり膨大なものである(コピーは序文のみで楽譜の部分についてはまったく違うものである)。
序文の最初の部分。左が野田彰訳、右がI氏のもの 
バンブーラに聞いてみたが「何も聞いていないし知らない」との事だった。I氏はドイツ語はできないし、この序文の出典については何の説明もない。しかし、内容を見れば見るほど、これは完全なコピーであって「勝手な引用」ですらない。
マウスピースに関する説明の箇所のページ、右がI氏のもの 
ドイツ統一後の1991年、私は統一されたホフマイスター社と"Die Posaune"の日本での出版に関する契約を結んだ。そして、野田彰先生に翻訳を依頼したのであるが、出版を引き受けてくれる出版社が現れずに出版は挫折し、関係者にだけ50冊見本版を頒布したにとどまった。"Die Posaune"の序文を勝手に翻訳して使った「トロンボーンメソッド」がその間に何冊売れたかは私には知る由もない。時は1991年、日本に帰国して日独楽友協会の設立準備にかかっていた私はI氏と事を構えるつもりもなく、"Die Posaune"日本版の前書きに「この教則本の序文は大変優れているので日本の著名なトロンボーン奏者が自らの教則本にほぼ全文を引用しているほどである」と記載するにとどめた。I氏からの説明も謝罪も、もちろん今に至るまで何もない。

日本の音大に行くべきではない理由   (その6)

6.日本の音大にとって一番大事なのは、学生が学費を払うこと

日本の音大にとって一番大事なこと、それは学生(たいていはその親)が多額の学費を払ってくれることだ。学費を払って大学にお金をもたらしてくれるお客を「ミルクカウ」という。一部の大学には学費の割引や免除の制度があるが、これはあくまで「本学にはこんなに素晴らしい学生がいる」ということを宣伝するための制度であって、苦労して頑張っている学生を支援するための制度ではない。特待生などのほとんどは入学前から特待生として入学できることが決まっていて「君は芸大にでも入れるけれど、うちの大学に来れば学費免除で勉強できるよ」と先生に誘われてくる場合が多い。

最近では各音大ともその他に「特別◯◯コース」などという名称の、演奏家として将来有望な学生だけを集めたコースがあるが、逆に言えばこのコースの学生に優れた環境を与えるために、他の学生が高い授業料を払っていると言っても過言ではない。そして、その割合はせいぜい20人に一人かそれ以下である。

学費が払えなくなった時、国公立の大学では事情により一定の猶予や免除の制度がある場合もあるが、私立の場合は「辞めていただくしかない」大学がほとんどだ。

Yさんのお父さんが急死したのは大学2年の秋だった。前期後期学費を分納していたYさんは後期の学費が支払えなくなってしまったため、大学に相談したが「学費が払えない以上やめてもらうしかない」だった。主科担任を始めいろいろな人に相談したが、誰も助けてくれなかっただけでなく、急に冷たくされたりすでに学生ではなくなっている様な扱いを受けた。日本の音大は、お金が全てなのである。

Yさんは翌年ある公務員の吹奏楽団に入るが、そこで待ち受けていたのも日本の音大と同様のパワーハラスメントだった。日本の音大と音楽関係の職場で受けた心の傷で、Yさんはまもなく自宅療養を続ける生活に入った。

2015年10月30日金曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その5)

5.日本の音大に行くと、一生心の傷を追うかもしれない。
武蔵野音楽大学の新入生歓迎コンパについては過去のブログに書いた通りだが、その後何十年経っても同じような話が絶えない。日本の私立音大を卒業してからウィーン国立音大に留学したSさん(女性)は私より25歳ほど年下だが新歓コンパで飲酒を強制され、救急車で病院に搬送された。その後、その音大では飲酒の強制は禁止されたそうだが一体それまでにどれだけ多くの人が不安な気持ちで新歓コンパを迎え、様々なハラスメントを受け、病院に搬送されたり心の傷を負ったりしたのだろう?
Mさんはフルートを専攻していたが第1希望の東京藝術大学が不合格となり、1浪して私立の音大に入った。私はMさんが浪人中に知り合ったのだが、まだ音大に入る前なのに大変素晴らしい腕前で、私は日本の音大に行かないで留学することを薦めた。しかし、Mさんは翌年入学した私立の音大で心に傷を負って1年ほどで入退院を繰り返すようになった。病名は統合失調症で、過度のストレスによるものと診断された。
日本の音大に行った結果PTSDとなり、その後鬱や統合失調症の診断を受ける人は少なくない。音大の管打楽器科はもともとブラスバンドに横行している体育会系のノリをそのまま持ち込んだこともあるのだろうが、私は敗戦後軍楽隊の出身者(多くは兵卒で士官はいない)が大量に音大の教官となったことからこのようなしきたりが軍隊の内務班から持ち込まれたと確信している。
こういうシゴキで精神が鍛えられるから良いだろう、と考える人もいるようだがとんでもない。本来音楽を目指す人間の神経は繊細であり、心に傷を負ってその後の生活に支障をきたす人が多いのは無理もない。私も30代になるまで武蔵野音楽大学時代の悪夢に悩まされ続けた。新歓コンパも、キンカンも知らずに多くの夢を持って入学した武蔵野音楽大学だったが、期待はことごとく裏切られ2年間で得たものは心の傷とケロイドと育英会の借金の他何もなかった。武蔵野音楽大学時代、私は友達が一人もいなかった。


2015年10月22日木曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その4)

4.日本の音楽大学の先輩後輩の関係は一生続く。

私は本来音大に行くつもりがなく、1浪したあとで音大に行くことに進路変更して音大に入ったので(音大には浪人せずに入れた)同級生より2つ年上、入学時に現役で入った3年生と同じ年だった。音大に入ってまず真っ先に違和感を感じたことは、どこで欠礼したとかそういったことですぐに呼び出されたり注意されることだ。学内を歩いている時はいつもきょろきょろして先輩に欠礼しないように注意していなくてはならないし、練習棟で練習していても先輩が通りかかる度に挨拶しなくてはならないから練習に集中できない。

私は3年生と同じ年なのに欠礼の度に呼び出されるのが不満で、担当教官に苦情を言ったことがある。その際の答えは「年が同じでもより多くの経験を積んでいる先輩なのだから、敬語を使い、先輩として敬うべきである」というものだった。社会人を経験してから音大に来たり、他の大学を出てから音大に入った人にもそれぞれの経験があると思うが。

凄まじい新歓コンパやハラスメント、ヘイジングのことは過去のブログに書いたので繰り返さないが、少なくとも私の時代の音大において先輩の言うことは絶対であって、逆らうことは許されなかった(飲酒の強要は2010年頃まで、様々なハラスメントはいまでも続いていると聞いているので、先輩絶対の雰囲気は今でもさほど変わらないのだと思う)。

そして、その上下関係は基本的に卒業後もずっと続くことになる。先輩であった人には何となく遠慮しなくてはならないし、考えが異なっても反論しにくい雰囲気はずっと続く。

ウィーン国立音楽大学では、学生同士はどんなに年が違ってもDuで呼び合う。2012年に古楽科に通うようになった時も30以上年が違う学生ともすぐDuで話す(たまに私が先生だと思ってSieで話しかけてくる学生はいたが)。中には先生でもお互いDuで話す人もいる。クルト・レーデル先生がザルツブルク・モーツアルテウムの教授になったのが19歳であったことを考えると、あながち不自然でもない。

私は日本の音大を出て、もう何十年も経ったプロのプレーヤーが自分より入学年が早いというだけで上級生だった人はいつまでも「〜さん」で、同級生以下は呼び捨てにすることにもいまだに違和感を感じざるを得ない。もちろん、価値観は人それぞれだ。しかし、もしそういう上下関係を一生引きずりたくないと考えるなら、日本の音大に行かなければそれですむ。誰とも先輩にも、後輩にもならないですむ。

日本の音大に行くべきではない理由   (その3)

3.日本の音大では語学力が十分に養われない。

クラシック音楽の世界で通用する演奏家となるためには、他の分野よりも格段に高いコミュニケーション能力が必要とされる。「音楽の世界に国境はない」というのは使い古された格言だが、今日実際に若い演奏家が活躍しようと思ったらイタリア語やドイツ語以外に英語の会話能力が非常に重要だ。

日本の音大卒業生の中には素晴らしい語学力を持っている人が沢山いる。しかし、こうした人達は音大でドイツ語やイタリア語を習ったわけではなくて大学の学費の他に多額の費用をかけて語学学校に通い、あるいは留学先の音大に通いながら現地で語学を学んで言葉ができるようになった人がほとんどだ。

声楽家にとって、イタリア語とドイツ語は車輪の両輪であり、オペラを歌うにしても歌曲を歌うにしてもこの2つを学ぶことは必須だ。しかし、日本ではどうやら大きな誤解が広まっているらしい。声楽家も聴衆もどうやら「原語で歌えるということは、その言葉が喋れることとは違う」と考えているらしい。これはとんでもない誤解で、仮にネイティブレベルでないとしても、プロの声楽家が歌をうたうためには十分な会話能力が必要なことはもちろん、オペラなどの歌詞が、どの単語がどういう意味でどういう構文になっているかを理解せずに、またそれが会話だとどう話されるのか、その言葉が現代語なのか擬古文調なのか、一つ一つの単語がどう発音されるのかを知らずにきちんと歌うことはできない。

R.シュトラウスの名言に「歌手が歌っている時、指揮者が暗譜している歌詞を追えるだけでは不十分だ。聴衆が難なく台本を聞きとれなくてはならない。そうでなければ(聴衆は)寝てしまう」というのがある。残念なことに、日本の音大だけを卒業した人の場合ドイツ語やイタリア語の歌を歌っても私が近くで聴いていてほとんど聞きとれない人が大多数だ。きちんと歌詞の聞き取れる人のほとんどは本人が大変努力して、長期間を海外で過ごしてしっかりした語学力を獲得した人だ。

冒頭に書いたように声楽家でなくても、音楽を続けていこうと思ったら生涯のほとんどを何らかの意味で多くの外国人と仕事をしなくてはならない。それはオーケストラの指揮者と楽団員であったり、ピアニストと管弦打楽器奏者であったりさまざまである。しかし、日本のプロ・オーケストラの楽団員ですら、かなり多くの人に十分な語学力が不足している。この場合、もっとも重要なのは英語である。さもなければイタリア語、ドイツ語、フランス語の3つを十分に習得していなくてはならないがそれはなかなか大変だ(もちろん、日本人の指揮者や楽団員の中には上記3つ、あるいはさらに英語、ロシア語などを流暢に話す人も多数いる。しかし、全体としてはそうした人たちは少数派だ。

もちろん、英語が十分にできないことは日本の音楽大学の責任ではなくて中高の英語教育が不十分だからだ。しかし、音楽という「業種」が外国語の理解が不可欠な分野である以上、日本の音楽大学は語学教育にもっと真剣に取り組むべきであったろう。今となってはすべては手遅れのように見える。





2015年10月17日土曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その2)

2.日本の音大を卒業しても学費に見合った実力も収入も得られない
「『音大卒』は武器になる」という本がある。この本に関する東洋経済の記事の見出しは
「音大卒」は、ビジネス社会でも武器になる『ピアニストは撃たないでください』」となっている。

この記事の中でに
「受験生が音大への進路希望を打ち明けると、多くの親や教師は『音大を出て、どうやって食っていくのだ!』と言うかもしれない。しかし、これからは「東大を出て、どうやって食っていくのだ!」という言葉も、同時に当てはまる時代なのだ」
とあるが、これは詭弁に近いと思う。音大卒が企業などの正規雇用労働者になれる可能性は2割以下で、音楽関係の正規雇用だともっと少ない。正規雇用で演奏の仕事につける可能性は1%もないのだ。

そもそも東大とひとまとめにしてもいろいろな学部や学科があるし、「音大」という大学はないからどの音大のどの学部に行くかで就職率や将来の収入の平均値もかなり違うと思う。しかし、それらはどのみち過去の統計上のデータであって、もし最初からビジネスの世界で生きていこうと思うのであれば、経済など実学を学ぶべきであることは著者の大内孝夫氏が慶応大学経済学部出身で、みずほ銀行に30年近く勤務したことが示している。恐らく学生数の減少に悩んだ武蔵野音大が苦悩の決断として他の業界、それも金融業界に長く務めた大内氏のような人材をようやく取り入れたことがこの本の出版につながったのだろう。もし、同じような本をソニーの故大賀典雄元社長が書いていたら、もう少し説得力があったかもしれない。また、演奏家になるためには必ずしも音大に行く必要はない。個人レッスンを受けながら慶応大学に通った千住真理子のような人も沢山いるし早稲田大学卒業でNHK交響楽団に入った人もいる。

「どうせ大学に行くなら好きなことをやって音大に行っても、一般就職では戦力になるよ」というのは大きな間違いだ。

「音大を出て、どうやって食っていくのだ!」という問いは最近始まったことではなくて、明治時代に日本に音大ができた時から子供が音大に行きたいと言い出した親の1/3くらいはこう問いかけてきたに違いない。しかし、残りの1/3は自分から子供を音大に行かせた親で1/3は自分が音大など芸術系出身の親だ(統計上の正確な数値ではありません。あくまで大雑把に分けた場合の話です)。
音楽大学で学ぶべきことはビジネスの世界で使えるかもしれないつぶしのきく人間になる人間になるテクニックではない(私がこれを言うと皮肉に聞こえるかもしれないが)。音楽大学で教えるべきことは、あくまで音楽の世界で即戦力となれるように演奏の技術、演奏や作曲、作品に関する知識、音楽ビジネスの実際、それに科によっては録音や技術に関する知識を修得することであろう。もちろん、クラシックの世界でも今日演奏家として生きていくためにはパソコンやインターネットなどを使いこなす知識や技術もある程度必要だろう。楽譜がPDFファイルで送れるようになってずいぶん便利になった。

ズバリ言ってしまえば、音大は演奏家など音楽の現場で働くために行くところだ。そして、今日のグローバル化されたクラシック音楽の世界には「日本の」とか「世界的な」とかいうレベルの違いはない。世界で通用しなければ日本のマーケットでも必要とはされないのだ。そして、日本の音大は残念ながら世界的なレベルとはいまだにかけ離れているのは日本の音大に行く価値はあるのか?にも書いたとおりだ。日本の音大で一流なのは学費だけで、演奏のレベルも教えられている理論やその他のレベルもヨーロッパの音大とはかけ離れている(アメリカやカナダについては別の機会に書きたい)。そのため、本格的に音楽の勉強をしたいと考えたらいつかは必ず留学しなくてはならない。しかし、18歳からという吸収力の強い4年間を日本の音大で過ごし、周囲の雰囲気に流されてしまった人の多くはこの機会を逸する。前回書いたように、日本の音大を卒業した頃には親に申し訳ないからそろそろ社会に出て働かなくてはならないという気持ちも起きてくるし、実際に親の資金力もそういつまでも続くものではない。つまり、本当に必要を感じた時にはすでに留学のための資金力も意志も足りなくなってしまうのだ。そこに、語学力の壁がさらに立ちはだかることになる。



2015年10月16日金曜日

日本の音大に行くべきではない理由   (その1)

以前に「日本の音大に行く価値はあるのか?」という疑問についてブログに書いたが、日本の音大に進学することを絶対勧めないことが、私が音楽業界で評判が悪い一番の理由だ。どの音大も学生集めに苦労しているのに、やる気と才能のある若者ほど私が留学を勧めてしまうから。さらにいうと日本の音大に行かずに、少しでも早く留学することを勧めるからだ。

しかし、最近少し流れが変わってきたように感じる。私のところには知り合いを介して、あるいはブログやホームページを見て留学に関して相談してくる若者が多い。そういう若者の中に、日本の音大やその付属高校に在学中にそこの先生に「君は才能があるから日本の音大に行くべきではない。中退してでも早く留学したほうが良い」と言われたという人が現れるようになったのだ。しばらく前までは「大学までは日本で出ておいたほうが良いよ」という先生が多かったのに。

私はこの25年間ずいぶん沢山の音楽家の留学に関わってきた。中にはドイツやオーストリア、ハンガリーなどのオーケストラに入った人も多い。先日も彼らの何人かと集まって話す機会があったがそこで誰もが口を揃えて云うのは「ともかく、なるべく早く日本を出ることですね」ということである。なぜそうするべきなのか、要点をまとめてみた。

1.日本の音大は学費が高過ぎるので、卒業後に留学が難しくなる
世の中には良心的な先生もたくさんいるのだが、普通科の小学校から高校まで行った人なら音大に進学するまでにはすでにかなりのレッスン料を個人レッスンに使っている。高校までを音楽科に行った人の大半は私立なので、その場合も授業料は公立校より高いし、音楽専攻だからといって個人レッスン料をまったく使わないわけではない。また、講習会やマスターコースに行くのにもお金がかかる。楽器によっては非常に高価なものもあるので、それも経済的な負担になる。その上で、国立の東京藝術大学ですら初年度納付金は982,460円、その後の授業料は535,800円にもなる。少々データが古いが(2012年度)私立音大の初年度納付金はほとんどが200万円を超え、4年間の授業料は800万円にもなる。通学生だとしても、楽器、楽譜代や通学費、その他の行事参加費などを含めると日本の音大に行く場合にかかる経費は国公立で400万以上、私立だと1000万以上にもなる。
周囲を見ていても、才能があって留学すれば伸びるのになあ、と思う学生でも「もうこれ以上親に迷惑をかけられないですから、仕事しないと」と言う人が結構いるが最初から
ヨーロッパの大学に行っていれば、経費は日本の国公立と比べても半分程度で済んだに違いない。これは、アメリカの大学についても同じで友人でザルツブルク・モーツアルテウムの教授が「アメリカの大学で才能があると思う学生に留学を勧めると、みんなもうこれ以上勉強にお金は使えないから卒業したら働かなくちゃならないと言う」とのことだった。

ウィーン国立音楽大学の学費は1ゼメスター(半期)あたり726.72ユーロ、日本円にすると10万円程度だ。ドイツの音大の場合基本的には無料だが、日本の音大ですでにバッカローレにあたる本科を卒業してしまってからコンタクトストゥディウムなどに留学すると10000ユーロを超えるような「高額な」授業料が発生することもあるので、日本の音大を卒業してしまう前に留学することがおすすめだ。

ちなみに知恵袋にこんな回答をしている人がいたが、日本の音大の回し者なのか、とんでもないお金持ちで大きな家に住んで立派なピアノを借りたのだろう。「日本の音大とあまり変わらないか少し安い程度です」「十数年前で初年度300万程度の出費でした(飛行機や講習会費込)」とのことだが、地方出身者が東京の私立音大に入ってピアノが弾ける下宿を借り、食費などすべての経費を入れたら一体いくら位になるだろうか?

参考までにウィーンの場合平均的な学生用のアパートは400〜600ユーロ。食費は恐らく一人暮らしで外食をしなければ120ユーロ前後、交通費は市内全域乗れるものが1ゼメスター150ユーロ(7、8月は別途29.5ユーロいずれも2015〜16年)なので概ね月30ユーロ、オペラとコンサートに月5回ずつ立ち見で通ったとして50ユーロ程度、その他諸経費込みで概ね学費込みの総額10000ユーロと考えて不可能ではない(贅沢はできないが)。もっとも私が学生の頃(1985〜87年)は月8万円の仕送りで夏休みに日本に帰る航空券まで買えた。

ヨーロッパの大学には受験料とか入学金というものもない(その後ドイツにはあるという情報を頂きましたので調べてみます)。

(続く)





2014年10月6日月曜日

「知の欺瞞」から「知の義憤」へ

日本では「評論家」が育たないと嘆いておられる友人がおられる。

そもそも「評論」で「食おう」なんて考えるのが土台無理な話だけど、日本には芸術の価値や倫理に言及する様な「評論」がほとんど存在していないと思う。過去には加藤周一や丸山真男の様な人が一部行っているが、どんな酷い演奏を行ったり、倫理的におかしな事が行われていても一度有名になってしまって楽壇を牛耳っている人を批判する様な評論家はまず見たことがない。どちらかというとべた褒め。

かつては宇野コーホー先生が朝比奈隆を褒め称えていたが、ドイツ語もイタリア語もほとんどできない日本人が高級車のブランド料として年間10億円のスポンサー料と引き替えにヨーロッパ最高のオペラハウスの音楽監督の地位を手に入れて、自分自身は年間数回しか指揮をせず、しかも「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」など基本レパートリーでは聴衆の嘲笑を買って酷いブーイング(オランダ人も)。そもそもレパートリーハウスでは練習無しで振らなくてはいけないオペラを指揮するために自分だけの練習をさせたり、挙げ句の果ては「塾」と称して自分が練習するためにプロジェクトを如何にも人に教えている様な顔をして長期間やってから現地に乗り込んでいく始末。

この人の在任中はシーズンはじめの日程からオーケストラピットの並び方まで酷いことになっていた。もちろん、倫理面だけではない。この人は古典音楽の基本的なメトリックや小節、和声構造をまるっきり理解していないのは演奏を聴けばすぐわかることなのに、音楽後進国で一度お山の大将になった人は誰も批判しない。東電と同じで批判すればスポンサーが付かない、仕事が来ないから。

どこかの歌劇場の音楽監督も就任以来2シーズン「肩の故障」を理由に一本もオペラを振らず、その代わりオーケストラの演奏会ではヘビーなロマン派の交響曲を指揮しまくっている。救いがたい平均律耳、様式感の欠如と政治的な腹黒さはこの人も変わらないのに、歌劇場の音楽監督、国立音楽大学の主任教授、地方オーケストラの音楽監督、首都の有名オーケストラの正指揮者の地位を独占、演奏は「高く評価」されている。

本来、生活がなくなろうが命を狙われようが、こういった人たちを倫理的にも音楽的にもきちんと批判することが評論家の務めで、シューマンでもハンスリックでも、ヨアヒム・カイザーでもノーマン・ルブレヒトでも信念に基づいて批判を行い、楽壇もマスコミも誰かが彼らの反対意見をしっかり見て、同意している。

日本で「評論」が成り立たないのは陰でどんなに多くの不正、セクハラ、パワハラ、そして何と言っても音楽的に無価値な騒音が排出されていても馴れ合い、依存体質、隠蔽、によって社会が成り立っているから。それは「直ちに健康に害が無い」からと言って看過して良い問題ではない。今までも「日本のクラシック音楽界は間違っている!」と言ってきた人はいたが、そういう発言はすべて無視されていた。政府やマスコミがこぞって「原発安全神話」を築いてきたのと同じだ。その社会が今、音を立てて崩壊しようとしている。

寧ろ、これからの若い人たちにこそしっかり基本的な美学や哲学を勉強してもらい、本物の「評論」「批判」が出来る様な社会になってくれなければ日本は間もなくクラシック音楽界で笑いものになるだろう。

私ももう、口を閉ざすのはやめた。

2013年1月12日土曜日

日本の音大に行く価値が有るのか?

私が日本の楽壇からつまはじきされる理由の一つに、私が常々より「留学するのだったら、変な癖がつく前になるべく早く留学した方が良い」と大変多くの高校生やそのご父兄に勧めてきたことがある。日本の大学には大変優秀な研究者や教授、講師の皆さんがいることは間違いないが、こういった人たちは優秀であればあるほど、学校の経営と自らの信念、良心との板挟みになって大変ご苦労されているだけでなく、通常は大学の中で多数派に属することはない。

私が1994年に勤めた高崎芸術短期大学(創造学園大学の前身)では、音楽家でもなく、楽譜も読めない学長(小池哲二、後の堀越哲二)が授業を行うほか、ほとんど専門知識がなく論文も提出していない教授がほとんどだった。しかし、創造学園大学の問題は実は本の氷山の一角に過ぎない。創造学園大学の授業内容がでたらめだったことは枚挙にいとまがないが、他の音大や一般大学は果たして大学と言えるような教育内容をきちんと行っているのだろうか?

4年間音大に行って歌を習ったのにシューベルトのリートが歌えない人って音大に行った意味があるんだろうか。それより、どんな間違った指導をしたら一応音楽に興味を持って音大に入ってきた人を4年間も学んだあげくにドイツ語のリート一つ歌えないようにできるんだろう。ドイツ語とイタリア語はオペラやオラトリオを歌う場合の車輪の両輪であり、どちらかを疎かにすることは出来ない。もちろん、イタリア語もきちんと発音できない音大卒業生が沢山いる。

「呼吸法」はヨーロッパの音大では必須だが、日本では「呼吸法」を受講できた卒業生は幸運な部類に入る。管楽器でも呼吸法を教わらなかった人はかなりの割合に登る
。
発声も、とにかく同じ幅、同じ深さのヴィブラートがかかりっぱなしで言葉が一言もわからない。ついでに言うとこういう人達は日本語で歌ってもかなり努力しないと聞き取れない。

音大をやめた人や短大に行った人はまだ何とかなるが、音大を出てしまうとかなりおかしくなっている。ましてや日本で大学院まで行った人は矯正しがたい間違った癖がついている場合がある。

管楽器や弦楽器で1オクターブをきっちり12に分けて平均律で演奏する人が半分くらいいる。こういう人は絶対音感のある人に多い。幼少時から平均律で絶対音感を付けてしまっているので、実際には和音が濁ってしまうより、平均律からずれた音が気持ち悪く感じるからだ。

音大を出たのにベートーヴェンの交響曲を1曲も弾いた事がないという弦楽器奏者もかなりいる(ハープやサックスの人ならわかるけど)。

古典派のトリルをどっちからかけるのかもわからない(先生自身がわかっていないからだ)。

そしてもっとやばい事は、さんざんデタラメな事を教えられ、金を巻き上げられ、中にはセクハラされたりしている人もいるのに、生徒達はみんな「お世話になった先生達」を恨むどころかすっかりなついてしまっている事だ。

長い間監禁されて虐待されてきた被害者が犯人になついてしまったり、どこかの国の国民がどんなに飢え苦しんでも大将軍様を讃え奉っているのとそっくりだ。