2013年1月12日土曜日

日本の音大に行く価値が有るのか?

私が日本の楽壇からつまはじきされる理由の一つに、私が常々より「留学するのだったら、変な癖がつく前になるべく早く留学した方が良い」と大変多くの高校生やそのご父兄に勧めてきたことがある。日本の大学には大変優秀な研究者や教授、講師の皆さんがいることは間違いないが、こういった人たちは優秀であればあるほど、学校の経営と自らの信念、良心との板挟みになって大変ご苦労されているだけでなく、通常は大学の中で多数派に属することはない。

私が1994年に勤めた高崎芸術短期大学(創造学園大学の前身)では、音楽家でもなく、楽譜も読めない学長(小池哲二、後の堀越哲二)が授業を行うほか、ほとんど専門知識がなく論文も提出していない教授がほとんどだった。しかし、創造学園大学の問題は実は本の氷山の一角に過ぎない。創造学園大学の授業内容がでたらめだったことは枚挙にいとまがないが、他の音大や一般大学は果たして大学と言えるような教育内容をきちんと行っているのだろうか?

4年間音大に行って歌を習ったのにシューベルトのリートが歌えない人って音大に行った意味があるんだろうか。それより、どんな間違った指導をしたら一応音楽に興味を持って音大に入ってきた人を4年間も学んだあげくにドイツ語のリート一つ歌えないようにできるんだろう。ドイツ語とイタリア語はオペラやオラトリオを歌う場合の車輪の両輪であり、どちらかを疎かにすることは出来ない。もちろん、イタリア語もきちんと発音できない音大卒業生が沢山いる。

「呼吸法」はヨーロッパの音大では必須だが、日本では「呼吸法」を受講できた卒業生は幸運な部類に入る。管楽器でも呼吸法を教わらなかった人はかなりの割合に登る

発声も、とにかく同じ幅、同じ深さのヴィブラートがかかりっぱなしで言葉が一言もわからない。ついでに言うとこういう人達は日本語で歌ってもかなり努力しないと聞き取れない。

音大をやめた人や短大に行った人はまだ何とかなるが、音大を出てしまうとかなりおかしくなっている。ましてや日本で大学院まで行った人は矯正しがたい間違った癖がついている場合がある。

管楽器や弦楽器で1オクターブをきっちり12に分けて平均律で演奏する人が半分くらいいる。こういう人は絶対音感のある人に多い。幼少時から平均律で絶対音感を付けてしまっているので、実際には和音が濁ってしまうより、平均律からずれた音が気持ち悪く感じるからだ。

音大を出たのにベートーヴェンの交響曲を1曲も弾いた事がないという弦楽器奏者もかなりいる(ハープやサックスの人ならわかるけど)。

古典派のトリルをどっちからかけるのかもわからない(先生自身がわかっていないからだ)。

そしてもっとやばい事は、さんざんデタラメな事を教えられ、金を巻き上げられ、中にはセクハラされたりしている人もいるのに、生徒達はみんな「お世話になった先生達」を恨むどころかすっかりなついてしまっている事だ。

長い間監禁されて虐待されてきた被害者が犯人になついてしまったり、どこかの国の国民がどんなに飢え苦しんでも大将軍様を讃え奉っているのとそっくりだ。

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